僧侶とお経はネットで選ぶ時代 「お坊さん便」問題が面白すぎる
どんもっす。
Amazonが始めた新サービス、僧侶宅配の「お坊さん便」問題が面白すぎます。
Amazonって、本当に目の付け所がいい。
今回は、そうきたか!って感じです。
このサービス、要はネットでお坊さんを注文して、お経を上げていただくというもの。
普段から寺院と懇意にしていない家庭で、どこに頼めばいいのか全然分からない家庭に人気がでているとか。
で、このサービスの問題点(らしい)について、以下の二つが挙げられてました。
①どんな僧侶が来るかわからない
②お布施の金額が決まっている
…もう面白すぎる。
一つ一つ見ていきましょう。
①どんな僧侶が来るか分からない点について
ネットでは、「本当に信頼できる僧侶が来るかどうかわからない」という懸念点が挙げられていましたが、面白すぎません?
そもそも、信頼できない僧侶って何よ?
僧侶って信頼できない人間でもなれるもんなの?
それって、そもそものシステム側の問題であって、このお坊さん便のせいではないですよね。
そんな、信頼できない人間が僧侶になれる時点で元のシステムがおかしいでしょ。
ってか、信頼できる、できないって、何が? って感じです。
え? なになに? お経が? ありがたみが? 経歴が?
何が信頼できないの?
はっきり言って、お経なんて誰があげようが、皆似たり寄ったりです。
どんなお経上げようが、死者には届きません。
そんなもん、生きている人間の自己満足に過ぎません。
粗末?なお経挙げて罰が当たったらどうしよう…なんて心配するくらいなら、生前にきちんと尽くしてあげてください。
死んでから立派な葬式上げようが何しようが、死者は喜びません。
②お布施の金額が決まっているのがどこが問題?
「お坊さん便」の料金は、戒名なしで3万5000円、戒名授与で6万5000円となっています。
値段が最初から決まっているんです。
で、なんでこれが問題かと言いますと、僧侶があげるお経は本来”商品”ではなく、対価を決めてしまうとそれはもはやお布施とは言えないから、とのこと。
いやいや、商品ですよ? 何言ってんの?
金銭の授受が発生している限り、言葉をどう変えようがそれは商品やサービスです。
別に僧侶だろうがお布施だろうが関係ありません。
言葉が違うだけ。
そんなもん、今の日本には通用しません。
しかも、このサービスを使用する方々は、普段から懇意にしている檀家さんなどではなく、寺院との結びつきが一切ないご家庭がほとんどでしょう。
である場合、普通に僧侶を呼んで、お経挙げてもらって、代金払って…って感じです。
金額決まってた方がやりやすいに決まってます。
あ、そうか!
謝礼って言えばいいんですかね?
そうすれば皆、すっきりするんじゃないですかね?
お布施じゃなく、謝礼。
どうですか?
皆が納得してくれそうな着地点を見つけたつもりですが。
一番このサービスに反発しているのが全日本仏教協会
全日本仏教協会やこのお坊さん便に反発している方々の意見がこちら👇
・仏教を商品化するな!
・僧侶を物扱いするな!
・ネットで注文してもありがたみがない
謎が多すぎますね(笑)
ネットが駄目なら、近代文明ほとんど使っちゃダメでしょ。
歩いて現場に出かけるのはもちろん、自分が着ている服も自分で作って、布教活動も全て徒歩で一軒一軒回ってやってるならわかるんですけどね。
普通に車で現場にやってきておいて、ネットは駄目だ!って意味不明でしょ。
じゃあ、電話は良いのか? ってなるし。
そもそも、全日本仏教協会はホームページあるんだよなぁ(笑)。
仏教を商品化するな、っていう意見も意味不明。
他国はそんなことしてない!って怒ってますが、他国と日本では宗教に対する考え方が全然違います。
これだけ宗教意識の低い国はほとんどありません。
もう今の若い方々は自分たち、あるいは自分たちの親がどの宗派に属しているのかすら知らない人がほとんどでしょう。
そんな日本で、こんな意見を叫んでも、誰の心にも響きません。
大体、商品化したら駄目なら、僧侶は今後一切お金もらえませんよ?
托鉢はまあ、別として。
あんなんで食べていくの、不可能でしょ。
ってか、もはや誰もやりたがらんでしょ(托鉢そのものはやってますが、それだけで食べていくことは誰もやってないでしょ、ってことです)。
商品じゃないっつーなら、お経挙げてくれたお礼にお茶でも飲んでいきなさいや、とか、実家でとれたみかん差し上げます、とかでもいいってことですか?
そんな訳ないでしょ(笑)
まあ、本音は自分たちの利権(入ってくるお金)が脅かされるから、だとは思いますが。
いずれにせよ、仏教離れが加速する中、若い僧侶たちはこのサービスで助かっている模様。
面白すぎる。
この調子で、どんどんお坊さん便を流行らせて欲しいです。