シャア専用ねこのブログ

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新井紀子さんの「AI vs 教科書が読めない子どもたち」を読んで

どんもっす。

 

AI開発者の第一人者である、新井紀子さんの著書

「AI vs 教科書が読めない子どもたち」

を読みました。

 

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この本、今現在子育て中のご家庭はもちろん、教育現場で活躍されている方、教育に携わっている方々全てに読んでほしい本です。

内容を要約しますと、

人工知能はMARCH(明治、青山、立教、中央、法政大学)にはすでに合格レベルにあるが、東大には合格できない(即座に合格できる見込みもない)

人工知能が苦手とする分野は主に読解力であり、その分野は今現在の子どもたちも苦手とする分野なので、現在の子どもたちの能力は人工知能にとってかわられる

・シンギュラリティ(AIが自分自身を越えるAIを作り出すこと)は簡単にはやってこないが、AI恐慌がやってくる恐れがあり、それこそが最悪のシナリオである

 

となっています。

 

 

多くの子どもたちが苦手とする読解力について

本書では、子どもたちとAIが最も苦手とする能力の一つに読解力を挙げています。

要は文章が読めず、読んでも理解できないということです。

 

私自身、子どもたちの家庭教師(小学校~高校生)をしていて、ハタと思いつくことがありました。

私は理数系の国立大学を卒業しており、理数系が非常に得意です。

なので、理数系が苦手な子どもたちを抱えているご家庭からの依頼が多いです。

ご家庭の方々の認識は大体似通っており、曰く

「我が家の子どもは国語は得意なんだが、数学(算数)が苦手」

 

確かに、算数や数学は低年齢からの積み重ねであり、算数ができない子供は、絶対に数学はできません。

算数、数学は多くの方々が苦手とする分野なので、納得のいくところなのですが、実際に教え始めて???と思えることが多々ありました。

 

どの子も、計算問題は解けるんです。

時間がかかったり、ケアレスミスをすることはあれど、決して解き方そのものが間違っているとか、手も足も出ないということはありません。

おや?と思いつつ、文章問題を解かせてみると、途端に手も足もでなくなります。

例えば、小学3年生の以下のような

「午前9:15に学校に着き、午後15:15に学校を出ました。学校には何時間いたでしょう?」

というような問題に、小学5年生が答えられないんです。

 

答えは当然6時間です。

私が教えている生徒は、何を考えたか、9:15と15:15を足して、24:30と答えました。

小学3年生が、ではありません。

小学5年生です。

小学5年生が小学3年生の文章問題に全く歯が立たないんです。

 

最大の問題は、この子に対する周りの評価です。

「国語は得意だが、算数が苦手」

確かに、その子は国語は得意で、学校のテストは大体100点です。

算数になると、半分程度の点数になってしまいます。

 

本書の、現在の子どもたちの多くが読解力がない、とする指摘がすんなり理解できました。

と同時に背筋がうすら寒くなったのを覚えています。

 

他の子も同様です。

小学校の算数はできていたが、中学校に入ったら途端についていけなくなった、という子もいました。

その子も文章問題を苦手としました。

その子が、中学に入って数学になった途端についていけなくなった理由は明白です。

算数と違い、数学は文章問題が圧倒的に多いからです。

 

高校生も例外ではありませんでした。

生物基礎がわからない、ということで勉強を見ていたのですが、教科書の文章を正確に読めないんです。

私は生物をとってなかったのですが、その私でも読めば理解できる内容でした。

教科書は読めば分かるように出来ているので、当然です。

特段、難しい内容でもなかったのですが、その高校生の子は読んで理解できてなかったのです。

 

これらの子たち全てに共通する問題が、本人やご家族含め、みな一様に

「国語は得意だけど、算数(数学、もしくは理系科目)が苦手」

と認識していることです。

これは非常に危険なことであり、由々しき事態です。

 

苦手分野は誰にでも存在するし、克服すればいいんです。

が、本人含め周りまでも、苦手分野を苦手と認識していなければどうしようもありません。

結果、全く関係ないように見える教科が不利益を被る現状は、何としても変えなくてはいけません。

 

また、学校教育も問題があります。

現行の国語教育では、読解力が全く身に付かないということです。

どの子も国語の点数は悪くはありません。

毎回100点を取ってくる子もいます。

最近ではそういう子たちに、国語のテストを私の監視下で解かせるようにしていますが、解き方を見ていると読解力がつかない理由が分かります。

文章なんて一切読まないんです。

問題を読んで、傍線部に近い部分から似たような語句を選ぶ、近い言葉の選択肢を選ぶというような解き方なんです。

これでは読解力は到底身に付きません。

これらの子たちに、この文章を要約してごらん?と言っても、全くできません。

文章を理解できていないからです。

 

つまり、何が書いてあるのかわからなくても、テストで100点を取ることができるということです。

これはテストはもちろん、現行の国語教育を見直す必要があるでしょう。

 

 

読解力を身につけるには?

読解力を身につけることができなければ、AIにとってかわられると本書では述べられています。

そうでなくても、読解力は全ての基本です。

高いことに越したことはありません。

 

では、どうすれば読解力が身につくのか?

 

新井紀子さんは、著書の中で読解力と日々の勉強量、読書量、生活習慣やスマホの使用時間といった様々な項目について相関関係を調べられていますが、目立った相関は見られなかったとのことです。

つまり、日々の勉強量や読書量などは、読解力とは関係ないという結論に達します。

 

本当にそうでしょうか?

 

所謂、日々の読書量や勉強量といったものは、主観的なものであり、客観的に測定できるものではありません。

数人であれば、数日客観的に見張ればできなくもないですが、統計的に有意な差を出そうと思えば、客観的に測定するのは不可能です。

 

例えば、現代はスマホで平易な文章やブログを簡単に読めますし、ラノベといった分野も台頭してきています。

これらも、見ようによっては読書でしょう。

勉強に関しても、漢字ばかり勉強していても読解力とは程遠いものです(漢字を勉強したら漢字検定に受かるので、勉強している子は多そう)。

つまり、相関関係の調査を受けている子供たちが、その真意を理解できていない可能性があるということです。

本人たちが勉強や読書であると認識していることでも、世間一般的には効果の薄いないようであったり、読解力とは関連の薄い分野ばかりであれば、アンケート調査は意味をなしません。

 

新井紀子さんは、多読ではなく、精読、深読にヒントがあるのかも、とも仰られておりますが、この通りだと思っています。

私の知る限り、私の知人で読解力があり、所謂一を聞いて十を知る能力を持っている方々は、例外なく読書好きです。

日常の読書量と読解力が無関係とは到底思えません。

 

が、やみくもに読む量を増やしても、全く意味がないでしょう。

大事なのは、精読、深読であり、完全に理解できるまで、一冊の本を読み込むことにあるのだと思います。

 

子どもたちに文章を読ませると、速読か!というくらいに早く読みます。

理解できない部分は飛ばして読むからです。

そして、内容はほとんど理解できていない。

理解できない部分を聞いたり、わからない言葉を調べようともしません。

これでは読解力は身に着かないでしょう。

 

ちなみに、文章を声に出して読ませると、驚くほどに間違いが多いです。

ほとんど棒読みであり、区切る場所もおかしく、飛ばしている単語があるのは日常茶飯事です。

本当の意味での読解力ではなく、単純な意味での読解力さえ持っていないのが現状なんです。

 

これが、現代の子どもたちが抱えている、能力なんです。

 

今現在、十代のお子さんを抱えていらっしゃるご家庭や、教育関係の方々は、ぜひとも今一度子どもたちと真摯に向き合って、子どもたちに何が欠けているのか、何が本当に苦手なのかを見極めてあげてください。

算数や数学が苦手な子どもたちも、多くはこの読解力がないためであるのではないでしょうか。

であれば、算数や数学が苦手と認識されることは、不幸以外の何者でもありません。

 

今一度、子どもたちと真剣に向き合うことをお勧めします。

 

長くなったので今日はこの辺で。

AI恐慌については、次回。