AI恐慌という人類最悪のシナリオ
どんもっす。
前回、新井紀子さんの「AI vs 教科書が読めない子どもたち」の読解力の部分について触れてみました👇
新井紀子さんの「AI vs 教科書が読めない子どもたち」を読んで - シャア専用ねこのブログ
今回は、「AI恐慌」について触れてみたいと思います。
AIによって人の仕事が奪われる可能性は以下の二つが考えられています。
①シンギュラリティ(AIが自分自身を越えるAIを生み出すようになること)を迎えて、ほとんど全ての人類が仕事から解放され、わずか数%の人類のみ働くようになる。
②AIによって代替される仕事がなくなる。現在で言えば、半数程度の人類が仕事を奪われ、失業者となる(新井紀子さんのおっしゃるAI恐慌)
①と②のシナリオは、一見すると非常に似ていますが、その性質は全く異なっています。
①のシナリオの場合、仕事の概念は現在の延長ではなくなります。
生きていくための手段ではなくなり、趣味などと並列して語られるようになります。
この場合、人々はベーシックインカムなどにより生活に必要な収入を得て、暮らしていくことになります。
そこには貧富の差などほとんどなくなり、ブラックな仕事から全て解放されるという、人類が夢見ていた楽園が広がっています。
が、本書によると様々な制約により、これは当分やってこないとのこと。
少なくとも、我々が生きているうちは到底やってこないようです。
残念。
そして、②のシナリオ。
こちらは、仕事の概念はあくまで今現在の延長であり、収入を得る上で仕事に就くことが必須となります。
そこにはAIによって仕事を奪われた人と、奪われずに仕事を続けられる人と完全に二極分化した世界が訪れます。
AIによって大勢の人の職が奪われ、街には失業者、貧困者があふれかえっています。
当然、失業者だらけなので経済にも大きく影響し、奪われなかった人々の生活すらも脅かされるようになります。
これがAI恐慌です。
本書によると、こちらが最悪のシナリオであり、またこれが起こる可能性自体決して低くはないとのこと。
AIによって奪われた人の分、新しい仕事を生み出すことができなければ、こちらのシナリオになる可能性が高いようです。
そして、それを回避する方法が、読解力の向上をはじめとする教育改革と人間にしかできない(人間がすることに意味がある)仕事の創出とのことです。
ふむ。
概ね納得も賛同もできるのですが、AIがこのまま進化していったら、AI恐慌はまず避けられないでしょう。
仮に2030年にAI恐慌がやってくるとした場合、猶予はあと十数年です。
その間に教育改革を施すのは不可能に近いでしょう。
恐慌とは、全世界的にやってきます。
日本だけ教育改革をすればよいというものではありません。
他国が歴史的な不況に陥ってしまった場合、日本もその影響を受けます(リーマンショックのように)。
今の世の中、ブロック経済なんてできないんです。
この間に教育改革が奇跡的なスピードで進み、読解力その他、機械に代替されない能力を持った子供たちの養成が上手くいったとしましょう。
その子たちが活躍するころには、上には全く持って使えない人材が多数ひしめき合うことになります。
これでは同じことです。
また、新しい教育を受けた子どもたち全てが、AIに取って代わられない能力を身につけられるとも到底思えません。
そもそも論として、今現在社会人になっている方々の能力矯正は、もうほとんど不可能に近いです。
最近色んな人と仕事しているのですが、明らかに読解力、思考力が低い方々の方が多い印象を受けます。
読解力の低い人は、例えば、書面などでの説明を理解することができません。
理解することができないので、勝手に拡大解釈して行動をとります。
こういった方々が大勢いる現在の世の中で、AIに代替されない仕事を生み出したところで、就ける人は物凄く限られてくるでしょう。
仮にAI恐慌がおきてしまった場合、世の中は大混乱に陥るでしょう。
下手すれば、戦争やテロ活動が活発化しても何ら不思議ではありません。
人間はAIに滅ぼされるようなことはない、と新井紀子さんは仰ってますが、AIを開発したがために、滅んでしまうことはあり得そうです。
AI恐慌、いつ訪れるのでしょうか。
その日が訪れる前に、一人一人が考えて行動に移す時期に来ているのかもしれません。