シャア専用ねこのブログ

鳥取の宣伝をメインに、日々の雑感や体験、出来事などをてきとうに記載

誰かのためではなく、自分のための人生を

私は、通える範囲で最も偏差値の高い高校に進学し、旧帝大の理系学部にストレートで合格、留年することもなく大学院まで卒業し、何の苦労もなく就職しました。
大学時代の理系の友人は皆、誰もが知っているメーカーに就職し、文系の友人たちは国家公務員や県庁といった場所へ就職していきました。
私自身、世間一般的には認知度は低いですが、その業界では有名な企業に就職しました。
私がその企業を選んだ理由は二つ。
1.やりたい仕事ができるから
2.いわゆる一般的な大企業と比べると社員数が少ないので、自分の力がより試されると思ったから

誰もが知るメーカーへと就職していく友人たちを横目に、私は
「そんな大企業に行っても所詮歯車の一つになるだけ。自分の力を試した方が良いに決まっている!」
と息巻いていました。
当時の私は、自分の能力を信じて疑っていなかったので、
「俺がこの会社をもっと大きくしてやる!」
といった、ある種中二病的な考えまで持っていたのです。

就職後の私は一年目の時点で、日本の平均年収を超えており、昇給額から逆算すると年収1000万円を超える日もそう遠くないと思えるものでした。

そこまでの私の人生は順風満帆そのもの。
一度も自分の人生について、真剣に思い悩んだことはありませんでした。
自分の行く先には、明るい未来しか待っていない、そう信じて疑っていなかったのです。

ところが、就職3年目くらいからその思いは揺らいでいきました。

私は焦っていました。
現場レベルでは優秀な人材として重宝されていましたが、会社の利益には何の貢献もできていないのが明らかだったからです。
学生時代の友人は、海外研修や海外勤務が決まった友人が多数いて、大きなプロジェクトの一員になっている友人もいました。
当時の私には、第一線で活躍している友人たちの姿が余りにも眩しく、このままでは、キャリアで大きな差がついてしまう!
と危機感を感じ、意味なく多数のビジネス書を読み漁り、資格習得のために通信教育に手を出したり、社外研修などに積極的に参加したりして自分自身のスキルを高めようと必死でした。
しかし、何一つ実ることなく、時間だけがただ過ぎ去っていきました。
この頃が、この会社で一生を過ごせるのか?と迷いだした時期でもあります。
 
私が成果を出せないのは所属している企業のせいだ!

と身勝手な考えをもち、転職も検討して色んな転職サイトに登録したりもしました。
まだ20代でもあり、私の経歴ならば転職は何の問題もなかったのでしょう。
転職サイトからは非常に多くのオファーをいただきました。
しかし、その中に自分のやりたい職種はありませんでした。
もちろん、理系である自分の経歴を活かす分野の職種ばかりでしたが、私にはピンポイントでやりたいことがあり、就職時もそうだったのですが、そこは絶対に譲れないものだったのです。

やりたいことができるだけマシか…と前向きに考えるようにして、当時の会社に残る決意をしました。

当時、私は両親への近況報告に良く手紙を使っていました。
電話やメールで済ますことも多かったのですが、自分の中でなんらか思うことがあった時は手紙で報告していました。
もちろん、仕事に思い悩んでいることなど微塵も感じさせずに、最近取り組んでいることやこれからやりたいことを書いて伝えていました。
両親からすれば、私は自慢の息子だったのでしょう。
両親からの手紙は、いつも私への期待と称賛の言葉で一杯でした。
就職したての頃はそれが嬉しかったのですが、いつしか重荷に感じるようになっている自分がいました。
両親をがっかりさせたくない、自慢の息子でありたいという思いから、仕事で何の成果も出せずに思い悩んでいることなど、とてもじゃないですが相談できなかったのです。

そして大きな出来事が起こります。
所属部署の廃止です。
私が所属していた部署に関わる分野から会社が撤退する意思を示したことにより、私はその会社ではやりたいことがやれなくなってしまいました。
部署が廃止になったことを受け、私と同じグループの方々は全員人事部と面談を行い、会社に残るか、退職するかの2択を迫られました。
私は迷いました。
会社を離れることを以前にも一度考えていただけに、やりたいことがやれなくなった会社に未練はありませんでした。
しかし、次の仕事が決まっていない状態で会社を辞めることは、私には絶対にできないことでした。


企業に勤めていない状態が、不安で不安で仕方がなかったから…

再び会社に残ることを決めたのですが、同時に転職活動も再開しました。
幾つかの企業が見つかって、応募したのですが結果は全敗。
当然です。
私は数年働いて、何の実績も上げることができていなかったのですから。

まるで、世の中から必要とされていないような感覚に陥ったのを、今でも鮮明に覚えています。

一流と呼ばれる企業で活躍する友人たちの話を聞くたびに、今の自分の状況があまりにも惨めに感じられて仕方がありませんでした。

それから私は徐々に精神を病み始めました。
仕事は与えられた仕事のみを淡々とこなし、定時に帰宅、家に帰りつくのが夕方18:00頃でした。
家に帰った私は、真っ先に布団の中に潜り込んでいました。
それから翌朝起きる8:00まで、毎日14時間ほど寝ていました。
睡眠が必要だったわけではありません。
寝ることによって、現実の嫌なことを全て忘れようとしていたのです。
夢の中だけが、安息の場所でした。

病院にも行って、薬も処方していただきました。
いっそのこと鬱病にかかってしまったら、どんなに楽か…
このまま、こんな辛い思いを抱えながら一生を過ごすのか…

そんなことばかり考えていたある日、とあるネットの記事を読みました。
一人の女性の生き方を紹介する記事です。
その女性は、大学卒業後地方に残って個人の力で生計を立てていました。
奇しくも、その女性が選んだ仕事は、私がやりたいと思っていたもう一つの仕事でもあったのです。

私には、一生涯のうちにやりたい仕事が二つありました。
1.大学で専攻した専門分野の研究開発
2.子供のころからの趣味を延長したもの

記事で紹介されていた女性の仕事は、2に当たります。
女性の生き方は、その当時の私にとっては涙が出るほど羨ましい生き方でした。
その分野の仕事は、組織に所属するにしろ、独立して活動するにしろ、多かれ少なかれ個人の名前で勝負する必要があります。
社会に必要とされていないような錯覚に陥っていた私には、個人の名前で勝負できることは、何より価値のあるもののように見えたのです。

私はすぐに、そちらの分野で仕事を探しました。
人手不足の業界ということもあり、簡単に見つかりました。
普通なら、ここですぐに転職活動を行うところですが、私は二の足を踏んでいました。

もう少し後でもできる、もう少しそっちのスキルを磨いてから、まだこの企業に何の貢献もしてないのに去るのはちょっと…、大学で学んだことを活かせないのはちょっと…
年収が大幅に下がるし…私は転職しないで済む理由をいくつも挙げました。
それらは全て単なる言い分けに過ぎないことを、自分でも気づいていました。

当時私が所属していた企業は、最先端の研究開発を行っており、上述したように待遇も良く、業界内での知名度も高く、その企業で働けることは私にとっての誇りであり、自分のちっぽけなプライドを保つための最後の拠り所でした。
その企業に必要とされていないのに、その企業でやりたいことはできなくなったのに、私は何の意味もない見栄やプライドのために、転職をためらっていたのです。

この期に及んで、私は学生時代の友人たちが、一流と呼ばれる企業で活躍していることを気にせずにはいられませんでした。

そうして転職すべきか、このまま会社に居続けるべきか…悶々とした日を過ごしていたところ、ある一冊の本に出会うことができました。
他人の目を気にせず、自分の気持ちに正直なり、自分のための人生を送ることの素晴らしさについて書かれた本でした。
転職するべきか悩んでいた私にとって、天啓のような本でした。
まるで、自分の背中をそっと後押していただいたような…

転職することを決意した瞬間でした。

無事に転職活動を終え、新しい土地へと向かう前に気になったのは、両親へどう伝えるかというでした。
大学の高い授業料を何も言わずに払ってくれた両親、私が研究開発職に就けたことを喜んでくれた両親、私の職場を一目でいいから見てみたいと飛行機に乗って会いに来てくれた両親…
私が仕事を辞めて、全く別の道に進もうとしたら両親はどう思うだろう…
転職先の仕事が、大学時代の専攻とは何の関係もないことを知ったら、がっかりするだろうか…

転職して住む土地が変わるのに、両親に伝えないわけにはいきません。
引っ越すまで時間もありません。
新たな仕事で自分を試してみたい、と意を決して両親へ伝えました。

両親からは
「あんたのことは何も心配しとらんけん、自分のやりたいことをやりなさい」
とだけ返事が。

その時、私が学生時代に、両親が
「世界中が敵に回っても、何があっても、わたしらだけは、あんたの味方やけん」
と言ってくれたのを、思い出しました。

ああ、そうだった…
両親はいつでも自分の味方でいてくれた…

涙腺が崩壊して大泣き…することはありませんでしたが、もう迷うことは何もありません。
転職先の、新しい土地で、新しい職場で、新しい仕事で、新しい自分になるだけです。

あれから数年、本当に楽しい時間を過ごすことができています。
仕事の性質上、フリーランスになるときもあったりしましたが、自分宛に仕事が来るから何とかなるだろ!といった感じで、非常に楽観的に生きてます。
いつか、無職になることを心底おびえていた自分が嘘のようです。

私のそれまでの人生は、誰かと比較した、名も知らない誰かに認めてもらうための、誰かのための生き方でした。
一流企業へと就職していった友人たちと対等に張り合わなければ!という意味のないプライドを抱えて、勝手に比較して、一人で焦って、必要とされていない企業にしがみついて…
やりたい仕事ができなくなったとき、精神を病んでしまったのは、そんな自分のくだらない見栄やプライドのせいだったのだと、今になって気づかされました。

私は一人の女性の生き方に、一冊の本に、そして両親に救われました。

もしも、今日本のどこかで、自分の生き方に迷っている人や、他人と比較して惨めな思いをしている人がいたら、この文章がほんの少しでも力になれれば。
一人一人が自分のための人生を歩まれることを願って。