シャア専用ねこのブログ

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ゆとり世代の社員たちの理解不能な行動が理解可能な件

どんもっす。

 

 

何かと世間からバカにされがちなゆとり世代の若者たち。

彼らの理解不能な行動に、他の社会人はビックら仰天とか。

 

とはいえ、記事を見てみるとゆとり世代側の気持ちがわからんでもない行動もあります。

記事中に紹介されているゆとり世代の奇行をピックアップしながら、本当にゆとり世代は「ゆとり」なのか考えてみましょう。

 

・メモを取れと言われたら、スマホのメモ機能を使う

↑これは別に問題ないでしょう。

ってか、駄目な理由を逆に知りたいです。

 

・取引先とのメールに顔文字を使う
・LINEで退職願を提出

↑これは文化の違いですね。

LINEでの退職願も別にいいんじゃないかなぁ。

そういえば、今の子たちも履歴書って手書きで書かされているんだろうか…。

あんなもんPCで書けばいいと思うんですけどね。

 

フェイスブックTwitterに会社の悪口を書きまくる

↑これは良いこととは思わないけど、バレん様に書けよとは思う。

 

・『一万円を細かくしてきて』との指示に対して、一万円札をシュレッダーにかける
・『これB4でコピーして』との指示に対して『あの! やっぱりこのビル地下2階までで、B4までなかったです』
・1万円分の菓子折りを買ってくるように指示したら、スナック菓子1万円分を買ってきた

↑これらは言葉を文字通り受け取った珍事件。

これも認識の差だから大しておかしな行動とは思わないですけどね。

初めて訪れる場所で、初めて触れる文化だったら皆さん奇怪な行動に見えますよね?

それと同じだけだと思います。

 

一度もコピー機を使ったことがないことに驚きだって?

…別に良くない?

んなもん使わなくても生きていけるってことでしょ。

むしろ今の子たちはペーパーレスに生きているから、こっちが学ばないといけないかもしれません。

まあ、1万円をシュレッダーにかける前に、なんで?って思えよ、とは思います。

ある種素直にいうこと聞いてるので、考えようによっては扱いやすい。

 

・速いからとスケボーで出勤
・『上司が風属性なので自分とは相性が悪い』などと、意味不明な供述を残して退職届を出した
・先日の歓迎会つまらなかったんで、この先飲み会があっても誘わなくていいですから、と言ってきた
・『独身の男いないんで、辞めます』と言って辞めた
・注意したら『オレ、ケンカ強いスよ?』と言われた
・コピー取るときに『お金どこに入れるんですか?』と質問してきた

↑これはゆとり世代関係ないでしょう。

こんな奴らいつの時代もどこにでも一定数いそう。

 

 

どうでしょう?

結構理解可能な気がしませんか?

 

もしくは単なる文化の違いで片付けられそうです。

 

例えば、言葉使いなんかは時代や文化の移り変わりとともに変化していくわけです。

小野小町清少納言の書いた文章を、我々現代人は古典の教材として学ぶわけですが、彼女たちが現れたときは宮中のお偉い方々(じいさん、ばあさん)が

「最近の若者は言葉の使い方がなっとらん!」

と怒っていたとか。

今と何ら変わりませんね。

でも、現代の我々は

「素晴らしい文章だ!」

とか何とか言いながら必死こいて勉強しているわけです。

 

また、今の日本語は頭に「お」をつける文化がありますよね?

お味噌汁、お漬物、御御御付…

この「お」をつける文化って、平安時代の(今でいう)ギャルが生み出した文化って知ってました?

当時、彼女たちは

「言葉の頭におをつけたら、めっちゃ可愛くない?」

「可愛い、可愛い~!」

「きゃー、全部おを付けちゃえ~」

ってなノリで、「お」をつけていきました。

我々はその名残で、お味噌汁、とか言ってる訳です。

つまり、我々が正しいと思っていたり、丁寧と思っているような言葉も所詮時代の流れの内にいつの間にかできたものってことです。

別に神様が作ったわけでも与えてくれたわけでもなんでもないし、皆で寄り集まって「正しい日本語」を作っていったわけでもない。

当然新しく発生してくる言葉に正解も間違いもありません。

 

言葉の使い方が移り変わっていくのは仕方のないことなんです。

ちなみに言語学では、言葉が全く変わらない文化は衰退している文化であるとも断言しています。

なので、ゆとり世代とか若者が新しい言葉使ってても悲観する必要は全くないんです。

 

ひょっとしたら、顔文字を普通の文字として認識する時代が来るかも知れませんよ。

象形文字とあんまり変わらんし。

 

 

記事によると、ゆとり教育自体に「個性を重視する」という願いが込められていたので、この結果はある意味成功らしいです。

そうかもしれませんね。

ゆとり世代の子たちは、協調性や一般常識に欠ける分、ITの知識といった特定の分野については滅茶苦茶詳しかったりするのだとか。

こう聞くと、ますますゆとり教育は狙いと結果が一致していることがわかります。

ただ単に、今の日本の社会に合わなかっただけ。

私も過去記事に書きましたが、日本の社会は伝統的に、つべこべ言わずに身を粉にして働く人間を欲しがってきた訳です。

そこに、真逆の教育を受けた人たちが入ってきたら…

そりゃー戸惑いますよ。

だって、政府がそういう風に育てちゃったんだもの。

 

結局、伝統的な日本社会で、??っていう行動を起こさせないためには、詰め込み教育しかないってことです。

つまり、個性を大事にして日本社会に迎合できない人種が欲しいのであればゆとり教育を施せばいいってことですし、日本社会に何の疑問も持たずに働き蜂になってくれる人種が欲しければ従来通りの教育を施せばいいだけです。

  

個人的には、ゆとり教育を受けた子たちが自分らしく生きていく様を見るのは、本当に面白いし感心します。

 

これからの日本社会がどちらの道を選んでいくのか。

ますます楽しみですね。